レッチワース・ガ―デンシティー小史
レッチワースは、19世紀後半英国の田舎での仕事の無さ、都会生活の貧困、不潔さの解決法として作られた世界初の田園都市です。エベネーザー・ハワードの、田舎の健全さと町の快適さを組み合わせるというアイデアを基にしてつくられたレッチワースは、国際的なムーブメントへのインスピレーションになりました。
1903年にファースト・ガーデンシティー・リミテッド社はハワードのアイデアを証明する為、レッチワースの土地に3,818エーカーの実験的な町の建築を始めました。その後田園都市は現実となり、この独自の町の運営と開発からの利益が、直接町のベネフィットになっていったのです。
エベネーザー・ハワードの真新しいコミュニティーのデザインを利用した初の田園都市のマスタープランのデザインは、建築家のバリー・パーカーとレイモンド・アンウィンに託されました。
彼らが考え出した1903年のレイアウトプランは商業的、そして工業的開発、幾つかの種類の異なる住宅地、そして農業ベルトというエリアを区別する土地の利用法の原則に基づいたものでした。このプランはその後、20世紀の環境基準となっていったのです。
その後バリー・パーカーとレイモンド・アンウィンは、英国都市計画においてのメジャーなパイオニアの2人となりました。彼らは生涯、ビジョナリー・デザインにおいて、世界中から素晴らしい評価を受けました。
レッチワースの人口は1900年代前半に急激に増加し、1905年の「チープ・コッテージ展示会」のホストとなりました。この大イベントは、建築家達にとって労働者達へ値段の手ごろな住居を提供するというチャレンジを与え、町に60,000人もの訪問者達を呼び寄せました。
始めのうちは、レッチワースにビジネスを呼び寄せるのに困難を要しましたが、町の産業は次第に繁栄し始めたのです。スピレラ・コルセットファクトリーで有名なスピレラ・ビルディングは1912年から1920年の間に建設され、地元の雇用のかなめとなっていきました。
その後の町の歴史では、敵対的な地所の引継ぎなどの問題も何度か発生しました。
100年以上経った現在、地所では未だファースト・ガーデンシティー・リミテッド社の原理に沿った運営がされています。今はレッチワース・ガーデンシティー・ヘリテージ財団と、インダストリアル&プロビデント・ソサエティによって所有、運営されています。詳細はwww.lgchf.comまで
レッチワース・ガーデンシティーの歴史に関するギャラリーを観覧するには、上の小さいイメージをクリックしてください。写真右と左の両端をクリックしてスクロールすることができます。



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